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4 図 大阪東南部治水地形分類図
喜連の微高地は鎌倉時代のもの、息長川 今川説は成立しない。
「大阪東南部治水地形分類図」
(国土地理院 有 引用・掲載許可)
「馬池谷」は「西谷」合流したが、北側の喜連は標高が7~6mであり、それより低い西向きに標高6~5mの方向に現在の長居公園通:古代の「磯歯津道」(しはすみち)}に沿って流れており、現在の「今川」となっている。これが「息長川今川説」の論拠となっている。しかし、喜連の微高地は鎌倉時代の

4 図 大阪東南部治水地形分類図
洪水により形成されたもので、「奈良時代には馬池谷と西谷の合流河川は、現在の喜連微高地を北上し、森 幸安の言う喜連川に至っていた」と考える( 「喜連の地形図」も参照 )のが至当である。
しかし、標高6~5mの土地に3~2.5mの深さの河川があれば、「その水流は大変なだらかなものであった」と考えられる。池や沼に棲む「にほどり」が歌宴の場所から見えたのは、「息長川の流れが極めてゆったりとしていたからだ」と考えられる。
森 幸安の「摂津國難波古地図」に見える喜連川=息長川説は「喜連の古伝承を図面の上に復元したもの」と見るべきである。
拡 大 図
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