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​ 2 図  「馬池谷」の断面図
馬池谷は万葉の時代には実在した。

  「馬池谷」の断面図

  (大阪市文化財協会 有掲載許可)

   図の読み

 右端のTP10.0m~2.0mの目盛は標高(東京湾水位を0mとする)を示します。

南区(南端)を重視します。

縦に並ぶ1~14bは馬池谷南区(南端)の地層の番号です。この大阪市文化財協会の発掘Dataによれば、「馬池谷の飛鳥時代の地層(9b)はTP5.0mで

馬池谷の断面図を見ると万葉の時代には喜連の南にあって、狭山池付近を水源とした。往時は3.4メートル以上の深さがあった。

​ 2 図 「馬池谷」の断面図

すから、10―5=5mの深さを有する谷であった」と判ります。しかし、奈良時代初期の地層8biはTP5.5mですから、馬池谷は(10-5.5=)4.5mの深さであった。奈良末期の地層は6でTPが6.6mとなり、作土の滞積がみられるものの(10-6.6=)3.4mの深さがあったと読めます。

ちなみに、平安―室町時代の地層2bは、TP7~7.5mですから、深さが3~2.5mの谷であった。現在では地層0は0.5~2mで、現地を訪問すると、肉眼でもその深さが推定できます。従って、20-4458の歌が読込まれた奈良末期には、少なくとも、深さが3.4m以上はあったと立証されます。

​  拡  大  図  

馬池谷の断面図を見ると万葉の時代には喜連の南にあって、狭山池付近を水源とした。往時は3.4メートル以上の深さがあった��。
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