息長川は喜連にあった。
1 図 喜連瓜破の地形図
2 図 馬池谷の断面図
3 図 新大和川開鑿地方図
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「喜連・瓜破の地形図」により
(松原市の掲載許可を受けている)
狭山池から東除川を水源とする「馬池谷」が「喜連」と「喜連川跡」の微高地がなければ、馬池谷が、この地に沿って、現在の喜連を北上していたので、この流れが「息長川に該当する」と推断できる。
前掲書「大阪府全志」の168頁に、仲哀天皇が日本武尊の皇子 : 息長田別王を大々杼家の嫡子がない処から、皇子を下し、その息長田別王が「狭山池*の水を引いて、水田を開き、息長川を掘りて、末を淀川に注がしめた」と見える。
*狭山池